「ウクレレだから安くて良い」では勿体なさすぎる論

ウクレレは楽器ですが「安いのも特徴なんだからそれで良い」というような事を言われるケースがあるんですけど、多分それって「他の楽器が出来る人がサブでウクレレを使う場合」なんだと思います。

僕は「ウクレレが最初の楽器なんだったら思いっきり金をかけて良い」と思っています。最初の1本はさすがにしんどいとしても、初心者が「もっと上手くなるぞ!」と思って次の1本の買い替えを考えている時は特に。正直、ウクレレを学び始めた頃よりも今の方が強くそう思っています。今日は、その理由のお話。

この意見の大前提として、僕にはいま「面白いなあ」と思うことがあります。

それが「楽器弾けます」と言ったときの普通の人の反応です。

というのも「楽器弾けます」というと勝手に相手が教養のランクを1個あげてくれるというか「楽器できるなんてスゴイ!」って凄くなりやすいんです。他の趣味と違って「食いつき」が良いんですね。「え、なに弾けるんですか!?」みたいな。これはウクレレを弾けるようになって日々感じていることです。

しかも、その「スゴイ!」のレベルが何故か「英語喋れます」とかと大差がない感じで、実務的にはそりゃ「英語のほうが良いに決まってるでしょ」と僕は思うんですけど、人間というのは「自分ができない未知の事ができる」と言う相手に対しては、等しく「憧れる」と言いますか、やっぱり「スゴイはスゴイ」みたいになるようです。

確かに良く考えたら音楽というのは「教養」のジャンルにカテゴライズされるわけで、別に楽器が弾けますっていうのは端的にその技術だけの話なんですけど、やっぱり「芸は身を助ける」と言うかそれだけで色々なケースが成立しちゃうんですね。

しかも、かなり実用的な側面がある。

たとえば、卑近な話を出すと、年末の忘年会で「何か出し物を!」とか言われたら「じゃあウクレレでも弾きますかねえ」と、いつもやっている事を発表会すればいい。今までなら「えー、どうしよう面倒臭い。断れないし、何していいか分からないし困ったなあ。嫌だなあ」とか嫌でしょうがなかったはずなのに、そんな事は一切なくて「あ、良いすよ」みたいな日常の1コマになってしまう。

そういう「日常が変わってしまいました」とか「スゴイって思われます」みたいな事が、これから一生涯続くとして、その対価に「5万円掛かります」と言われたら(例えば僕の場合)向こう30年をサラリーマン生活するとして(無論、その後のことを考えても)「それは助かります」って、そりゃ自動的にそうなります。それが10万円だったとしても受ける恩恵の大きさを考えれば大差がない事です。

つまり、僕が思うに「ウクレレを覚える」というのは「自己投資」なんじゃないかなあと思うのです。お金の使い方としてすごく建設的な気がするんですね。

そのために5万かかるなら掛かればいい。それで、いい音色のウクレレを手に入れて上達が早くなるなら、それに越した事はない気がするんですね。「続くかわからない趣味だから」とここでお金をケチるのはすごく勿体ない。

高額な支払いがあったとしても対価を得られるならば、僕は非常に安い「投資」だと思います。
これが、僕がウクレレにある程度のお金を掛けても良いと思う理由です。

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